三重大学

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活動概要伊賀サテライト

通信手段としてののろし研究(忍者研究)

4月1日~3月31日 
代表者/

地域貢献活動

活動の概要

  • 北畠氏が活躍した中世の現状を広く市民に知ってもらうための教宣活動
  • 松阪の城50選の販売促進
  • 烽火場の再調査

 ⇒髭山、黒米城跡と白猪山

活動の成果

*宣伝

前年度に実施した「発煙筒によるのろし実験」を写真集の形で、百五銀行の展示場所を利用して1か月間、3つの箇所で実施した。

 

*季刊NAGI(伊勢)から「三重の山城ハイキング」というテーマ取材の申し込みがあり、筆者は大河内城跡を執筆、幸い好評を得て、NAGI8月号現在は売り切りということである。

 

*阿坂城跡を対象に住民協議会と連携11月15日にハイキングを実施した。約100名が参加、堀切、竪堀、曲輪等の説明を実施した。

 

*烽火場の再調査(10月15日)

・髭山烽火台を再調査実施。住民協議会の手で頂上の木々が伐採されて、北東方向の視界が確保、髭山から堀坂山、黒米城跡が肉眼で確認でき、カシミール3Dの有用性を立証した。この結果は読売新聞の記事として掲載済み(2月7日)。

・黒米城跡(11月23日)

黒米城跡烽火場は伝承地で、北西部に薄い土塁が認められ、烽火場を思わせる遺構は見当たらないものの長方形の尾根全体を使った烽火場の可能性がある。黒米城跡は柚原城跡から約1時間程度の道のりで、冬季に訪れたことから広葉樹の葉が落ちて、以前は観察できなかった髭山の見通しを確認、カシミール3Dの有用性を確認した。

・白猪山(12月3日)

付近に御所平(ごしょびら)の地名が残り、烽火場の伝承地である。8合目くらいに江戸時代に“雨ごい”を行ったというくぼみを発見。測定すると直径は4mで周囲に風化した土塁が認められた。また、土に埋もれている石も散在し、それ以前には形状から見て烽火場として活用された可能性が認められた。眼下に五箇篠山城、ヒヨドリ城跡が確認できて、烽火場としての存在意義はあると考えられる。